「運のいい子ね、あなたは。
だけどその幸運は
どうやらあなた自身の努力でつかみとったようね。」

「そうでしょうか?」

「そうよ。
幸運はそう簡単に転がり込んではこないものよ。」


(牧場の少女カトリ 第40話「道づれ」より)



幸せになるために必要なのは、運か努力か?こんなことを考えるときがあります。
自分のせいではない苦難にぶつかったときや、努力して何かを達成したとき。
そのたびに繰り返し考えてみても、やっぱりよく分からない。そして、カトリのこの場面を思い出します。

エミリアさんの「あなた自身の努力でつかみとったようね。」という言葉に、「そうでしょうか?」と返すカトリ。
カトリは学校にも行かず、自分で勉強して字を覚えました。
仕事も真剣に学んで、ひとつひとつ自分のものにしていきました。誰にでもできることではありません。
でも、それは努力というよりも、「もっともっといろんなことを知りたい。」と言うカトリの気持ちが、
自然と彼女を動かしたのだという気がします。

努力が幸運につながるものなのか、そんな保証はどこにもありません。
カトリが持っていたものはそんなものとは関係ない、純粋な意欲や向上心でした。
ただ、ただ、前を向いて歩いていく。
カトリが幸運をつかんだのだとしたら、そしてそのことに理由があるのだとしたら、
それだけなのかもしれません。









「つまり、これが時代の流れさ。
そして新しい時代が来たときは、あわてないように勉強が必要だ。」

「それじゃあ、このカレバラみたいな昔の物語なんて、
読む必要がないって言うんですか?」

「違う。その逆さ。
このカレバラには、フィンランド人の心が書かれている。」


(牧場の少女カトリ 第14話「はじめての招待」より)


アッキさんとカトリのこのシーン、うまく言えませんが、なんだかとても好きです。
新しい時代が来たときにあわてないように今から勉強しておく、と言うアッキさん。
すごく進んでいます。
それじゃあ、こんな古い話は意味がないのか?と聞くカトリに
昔からのフィンランド人の心を知ることはとても大切だ、と言うアッキさん。
うーん・・・ますます進んでいます。
こんなことを学生に言うならともかく、家畜番の子供たち相手にアッキさんは真剣に語り、
カトリもそれを一生懸命に聞き、考えようとしました。
アッキさんて、ちょっと宮沢賢治みたいなところがあるなあ・・・と思います。



朝もやにけむる森と湖。フィンランディアの曲。
牧場の少女カトリは、美しい朝の風景から始まることが多かったです。
森と湖の国と言われるフィンランド。美しく厳しい自然のなかで、物語は展開されていきました。

学校にも行けなかったカトリが抱いた夢は、医者になることでした。
時代、生まれ、貧しさ、女であること、どれをとっても夢を実現するのに有利な条件はありませんでした。
それでも、トゥルクへ行く道中でカトリとマルティは言います。
「夢は見続けろよな、カトリ。」「すばらしい夢を見ろよ、カトリ。」
「だけど私、これからも夢を持ち続ける。ずっと持ち続ける。」
どういう状況にあったとしても、誰に笑われても、心の中に何を持つかは自由です。
それは私達が子供のころに聞かれた、「将来何になりたい」という夢だけに限らないような気がします。
カトリが思い描いていた夢というのは、そういうものじゃなかったのかなあ・・・と思います。

それにしてもカトリは算数が好きでした。
私は数学はまったくダメだったので、カトリがペッカに出していた問題もちんぷんかんぷんでした・・・。
そんなわけで、「まずタルの穴をふさぐんだ」というペッカの答えに私も賛成です・・・。




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