「アボットさん、どうしても子供たちにキャンパスを見せてやりたいんです。」

「歌をうたわせて、寄付を得るために?」

「もちろん、寄付もつのります。」

「孤児たちは、お金持ちの虚栄心を満足させるための
家畜にすぎないとお考えなのですか!?」

「いいえ。親がいないという不幸な境遇のもとに育つ、
ただの子供ですわ。」

「ただの子供ならなおさらです!
子供たちがどんなに惨めな思いをするか、考えてみたらどうなんです!」

「・・・・アボットさん、
確かに子供たちだって、いい気持ちはしないでしょう。
でもだからと言って、この暗い孤児院に一生隠れているわけにもいかないんです。
いつかは世の中に出て行かなければならないんです。
違いますか?」

「・・・・だからと言ってっ・・・」

「きびしい世間の目から、決して逃げてはいけない。
私はそう教育しています。
みんな好きで孤児になったわけではありません。」

「当たり前です!」

「でも、現実は孤児なんです。
孤児は裕福な人の目にふれず、どこかにひっそりと暮らしていればいいと考えますか?」

「いいえっ・・・」

「だったら、胸を張って現実に立ち向かうべきです。
本当に慈善の心から差し出された寄付も、
お金持ちの虚栄心を満足させるためのほどこしも、
子供たちの次の一歩に役立つという意味では、
同じお金なんです」

「次の一歩?」

「それは、社会に出て働くことかもしれないし、
高校進学かもしれません。
だから、キャンパスを見せてやりたいんです。」


(私のあしながおじさん 第19話「友よ、ともに歌わん」より


私のあしながおじさんはリアルタイムで試聴していたんですが、
「同じお金なんです。」というこのセリフ、当時小学生だった私の胸にも「ガーン」ときちゃいました。
もちろん良い意味でです。
大人になって再放送で見直したときもこのシーンだけは覚えていて、改めて感動しました。

「愛の若草物語」のジョオが髪を売ったように、わずかなお金でもそこに込められたまごごろがうれしいときもあります。
そしてこのランバート院長先生のように、お金は単なる道具として、現実に役立てていく考えもあります。
どちらもすばらしいですが、
私はこのランバート先生の現実をありのままに見つめ、冷静に前向きに歩いていこうという教育方針がとても好きでした。
冷たいわけではありません。困難な現実に感傷的にならずに、今できることを精一杯やる。
なるべく多くの子供たちの「次の一歩」のために手段を選ばない、
ランバート先生の姿勢からはたくましい生命力を感じます。
このやり取りの中で、ジュディのランバート先生へのわだかまりもだんだんと解けていきます。
自分の生い立ちと向き合い始めたジュディに、最初の勇気を与えた一言だったと思います。




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