「まあ、わしの言うことを聞くんじゃな。
クマのバスターと友達になるんじゃよ。
いつも自分よりりこうな者、すぐれた者と友達になることだ。
ジョー、分かるか?」

「ぜったいにバスターにしかえししてやるんだ!」

「ハア〜、いかん、いかん。
あんなにわがままでは、せっかくのいい性質がダメんなっちまう。」


(山ねずみロッキーチャック第5話「ざわざわ川のひと騒動」より)



世界名作シリーズでは、勉強ができて人望もある主役に、嫉妬心を燃やすクラスメイトが出てくることがあります。
「牧場の少女カトリ」のヘレナや「小公女セーラ」のラビニアがそうです。
カワウソのジョーも、川の魚は全部自分の物だと思っていたのに、バスターが来てたくさん魚を取るのが気に入りません。
でも、私なら、セーラやカトリとは友達になりたいと思います。
じいさまがえるも、同じことを言いました。
自分より能力も人間も優れた人と一緒にいるのは、気持ちのいいものだからです。
そういう人は自分に考え付かないようなアイデアを与えてくれるし、力になってくれるからです。
一緒にいて得をするのは自分なのです。自分の能力や人間力は限られているし、経験できることも限られています。
だから優秀な人から学ぶのが一番早いのです。そういう人がいなかったら、本を読むのが早いのです。
それに、「せっかくのいい性質がダメんなっちまう」という、じいさまがえるの言葉に、愛情を感じますね。
そう、わがままだけど、ジョーにもいいところがあります。陽気で楽しいところです。
ジョーもまた、他の仲間にいい影響を与えてあげられる長所があるのです。






「でもちがうぞ、ちがうぞ!
木の実は食べ物だ!
食べるためにある物だ!食べないと死んじゃうんだぞ!
それなのにパディーは、木をみんな切っちゃってるぞ!」

「この木はきみたちの物じゃない!
この木は・・・みどりが森の物だよ!
みどりが森を愛しているみんなの物だよ!
ぼくたちはみんな必要な物を、みどりが森からもらっていいんだ。
ぼくはこの木が必要なんだよ。
カケス君、きみが木の実を拾って食べるように、
ぼくもこの木を切っていいわけさ。


(山ねずみロッキーチャック第8話「ビーバーが森にやってきた」より)




ビーバーのパディーが森にやってきて、巣を作るために木を何本も切り倒します。
木の実を食べるカケスのサミーは抗議します。
これに対して、パディーの言った一言が好きでした。

「森の木は誰のもの?」という問いに対して、
「みんなの物だ」とか「誰のものでもない」いう答えは想像できます。
でもパディーは、「森の木は森のみんなの物だ、だから自分の物でもある」という言い方ではなく、
「ぼくたちはみどりが森から必要なものをもらっていいんだ、だからぼくもこの木を切っていいんだ」
とさわやかに言いきりました。
なるほど、そうかーと、森のみんなが納得させられた答えでした。

みどりが森には、新しい仲間が来たとき、よくトラブルが起こります。
それまで自分が自由にしていた生活が変わるからです。
そのたびに、森の仲間はけんかし、話し合い、共同生活を送っていきます。
他の仲間に思いやりを持つこと、、その中でも自分の権利をはっきりと主張できること、
どちらも大切です。私もそんなふうになりたいです。




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