「あなたは自分の性質をとても悪いものだと思っているようだけど、
お母さまだって、ちょうどそんなふうだったんですもの。」

「お母さまが!?
だって、お母さまが前後のみさかいもなくかっとなったことなんて、
一度も見たことがないわ。」

「私はそれをなおすのに40年かかったわ。
それでもまだ、やっとかっとなるのをおさえるだけ。
お母さまだって、毎日何かしら怒らない日はないのよ。
理想はね、心から怒ることがないようになりたい、と思っています。」

「でもお母さま。」

「なあに?」

「すぐかっとなる性格は問題だけど、
人間は、心から怒るときもあっていいんじゃないかしら?」

「あなたはそう考えるのね。
でも私は、決して怒ることのない人間になりたいと心から願っているのよ。」


(愛の若草物語 第30話「ゴメンねと言えたらいいのに!」より)



お母さま,すごいことを考えるなあと思いました。
「心から怒るときがあってもいい」というセリフもうなずけますが、
怒るのを我慢するのではなくて、怒ること自体がなくなったら、それは幸せなことかもしれません。










「さあ、笑ってちょうだい。」

「誰が笑うんだい?」

「あなたが。」

「どうして?」

「男の子みたいでおかしいから。」

「とんでもない。とてもかっこいいよ。
君は小説家になろうとしているんだろう?
他の女の人と違って、君は外見じゃなくて
心の中を飾らなくてはならないんだ。
その髪型シンプルで、そういう人間にぴったりだと思う。」


(愛の若草物語 第38話「悪い知らせの電報がきた!」より)



アンソニー・ブーン記者はアニメにしか出てきません。家計を助けようとしてジョオは髪の毛を売ります。
デーヴィッドのようにからかうのでも、ローリーのように気づかうのでもなく
きっぱりとこう言ったところがアンソニーらしいです。



「愛の若草物語」と「若草物語ナンとジョー先生」は、とても好きな作品です。
二つの作品は続きものですが、それぞれすばらしかったです。
「愛の若草物語」の前半部分はアニメのオリジナルですが、原作がクリスマスのシーンからはじまっているところを見ると
けっこう長い期間がオリジナルでした。私は、良かったと思います。
この部分で南北戦争に行っていて不在のお父さんの人柄も分かるし、女だけで一家が助け合っている状況もよく分かります。
黒人少年をかくまうシーンや、南軍の兵士のリクエストでベスが埴生の宿を弾くシーンはすごくいいなあと思いました。
音楽もスワニーリバーやオールドブラックジョーを使っていたりして、アメリカの当時の雰囲気が伝わってくるようでした。
(作曲家のフォスターが、若草物語の舞台と時代に縁の深い人だったからかもしれません。)
ニューコード(コンコード)は自由への入り口の町だったのかなーと思いました。
この地名はアニメだけのもので、舞台はコンコードだといわれています。ナンとジョー先生の頃にはコンコードになっていました。
前半にジョオたちがペンシルバニア州に住んでいたのは、
南北戦争のゲティスバーグの戦いを取り入れるためだったのかもしれないし、
作者のオルコット(ジョオ)の生い立ちによるものかもしれません。
(オルコットはペンシルバニア州で生まれて、その後一家でマサチューセッツ州コンコードに引っ越しています。)
ラストも原作の続若草物語のストーリーを取り入れて、その後につながるようにまとまっていました。




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